円相
知り合いの画家から、陶板に呉須で描いた円相を預かった。一筆描きの○である。これから本焼きをし、新築中のアトリエの門柱に組み込まれるらしい。
円相は、心の窓からみた己の姿でもあり(円窓)、自然な無我の姿。
小さい頃、絵を描く事が何より好きだった。いくつの頃だったか定かではないのだが、絵画展の選考の時に、「本当に自分で描いたのか」と疑われて以来、あまり絵を描かなくなった。だから、たまに今、描く絵は、当時から進歩していない。そこから、少年は工作に走り、でも絵は好きなんだけど、、変なトラウマを抱えながら、今に至っている。
絵を描く事、ものをつくる事、どれも自分自身の今の内側から発する事だと思う。人それぞれが、過ごしてきた環境、風景、視点、色、触感、、、全てにおいて違うのだから、表現が違うのは当然であり、自由である。だが時に、表現が自然であればあるほど、温かい声は励みにもなるし、批判は自身を否定されているような、脆さも併せ持つ。
己流庵での教室は、つくるものは全て、その人任せ。「こんなやり方でつくってみては?」「この道具使ってみたら?」・・、そんなものである。やりたい事、つくりたいもの、表現したい事、、それぞれが違って当然だ。と、常日頃考えている者がやっているのだから、自然とそうなってしまう。小さい子供は、小さいなりに自分自身の表現を無我夢中で形にしたものが、絵になり、造形になる。長い年月を経て、大人になり、現実に打ちのめされつつも、自分の内側からでる表現。そんなものを大切にしたいと思うからです。
チビが描いた絵が、選ばれて、市内に展示されたようです。たまに僕らは、文房具コーナーを一緒に視察するのが好きで、「この道具は、このペンは、筆は、こんなふうに使うんだよ」とか、陶芸に関しても、年に一度、自分のご飯茶碗をつくらす程度。外からみえるイメージ程、ものを描く、つくるという事を教えてはいない。でも、それでいいのだと思う。
久しぶりにプランターコテッジを訪れる。共感できるいろんな話。
僕が思う己流は、奇をてらうわけでもなく、「夕陽が綺麗だな・・」的な、ごくごくシンプルな感覚から始まっている。いつか自分の円相が描ける事を信じたい。
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コメント
けいたろう、ありがとう。そして、お帰りなさいやね。日記、楽しく読ませてもらってますよ。知らず知らずのうちに、手取り足取りの世の中ですねぇ・・失敗に学ぶ事は大きいのにね。僕の場合、失敗だらけですけど・・。それもさじ加減ですね。
けいたろうの感想、チビにも伝えておきます。
投稿 堀川貴永 | 2008年2月26日 (火) 18時09分
ゆかいなさかな!この絵、本当に感動しました。自由なかたちといろ、想像力。本物をみてみたいな!教えないことの大切さ、このあたり、ほりからも前に聞かせてもらったと思うけど、ほんと、さじ加減なんだろうね。
投稿 伊東啓太郎 | 2008年2月26日 (火) 13時04分